4月終わり頃、病院へ行き、薬をもらい、薬を飲んでいたら割と調子が良くなった。
やっぱり病気なんだなあと思った。
友達というか、専門学校の後輩の子に働いているお店のガレージセールをやるので
そこでアクセサリーを出品してみないかと前から声を掛けられていた話があったので、色々兼ねて東京まで行ってきた。
東京へ行く前には長野に寄り、東京の浅草でゆるゆるものを売ってみて、、それが終わったら熱海へ行き、
あれこれ手伝ったり等して、また長野へ行ったり、、、
とりあえずあっちこっち転々とした二週間ほどだった。
今自分の家に帰ってきて、ただ、疲れたなあと思う。
楽しくはあったけれど、疲れたなあと。
まあ病気なんだろうと思う。
そうでなくても、他人の家に寝泊まりして渡り歩くなんて、そりゃ疲れるわ。
人のお手伝いしいたり、縁を大切にするのはいいけれど、それだけじゃ自分が無くていけないなと今は思う。
ちなみに、出品した品物はてんで売れなかった。
場所と状況があまりよくなかったかなと思う。作るのも難しいけれど、ものを売るのはもっと難しい。
とりあえず、交通費のうちのバス代くらいにはなったから、いっか。
お金がとにかくとにかく問題で。
安定して収入があるかといえばないので、状況は良くない。
東京へ行くとなにかとお金を使ってしまう。
友人と交流したりするのも、お金がいる。
お金はだいぶなくなってしまった。
さとうきびのささやかな収入の残りももうなくなってしまったな。ほとんど。
なんでこんなにいつもお金ないんだろう。
多分無駄遣いしすぎなんだと思う。
その割に娯楽品とかなんも買わない。服とか遊びのものなんか全然買わない。最後に服買ったのいつか忘れた。
主に交通費と人との交際費とものづくりの資材材料費でなくなる。
今回もそんな感じでお金を使ってしまって、余裕がない。
それはいいとして、この二週間ほどあっちこっち転々とした。
その中で色んな人と出会って交流して、ってほどでもないけど
人と関わる機会の多い日々だった。
皆のこと見ていると、本当にいろんな生き方、人生があるのだなと思う。
同時になんでこんなに皆がんばって生きてんだろうとも思う。
生きてることのよくわからなさというか、無常感があった。
多分心が微妙に病んでるからそんなことを思ってしまうのかもしれない。
自分にあてはめてみて、生きる意味というか、モチベーションがよくわからなくなってしまう。
そんなにがんばれないなあとか思う。
なんとかやっていかねばいけないとは思うのだけれど。
だけどなんだかんだそれに執着している自分も居て。
なんとか自分の人生や生活を成り立たせて、より良くしていかねばという感覚にとらわれている自分を感じる。
それは窮屈で苦しくて、疲れる。
だけど自分がそう望んでいるのだろうか。
そんな思いがあるから、あまりもう人のお手伝いをしたりだとか
あいまいなことをして時間を過ごす余裕がなく、耐え難くなってしまったかもしれない。
とにかく自分の事をなんとかやっていかなくちゃという焦りがとても大きくなってきた。そんな気がしてしまう。
だからきっと今はそういう時期なんだと思う。
ちゃんとどこかに勤めて働くでもないので、(きっとそれが向いていない。体調が悪くなる。)
なるべく負荷の掛からない(心身にも経済的にも)ようにしつつ自分の出来ることを模索して実行していくのと
ささやかながらもお金もなんとか少しでも多く手に入れていかないといけない。
お金がないと、悲しいけれどどうしようもなく、生きていけない。
とりあえず求められていることは形にしてみたり、自分の望む物も形にしてみたりして、生きているということをただ、ただやっていくというだけなのかなと、今は思う。
アッチコッチ、自分の落ち着く所でないところを転々として、少し心と身体が疲れたので休みたい。
なんだかんだいろいろやってきたけど、今までやった中ではアコースティックギターを作るのが一番心豊かな時間だったので、落ち着いてギターを作ったり、人に作ってあげたいものを作ってあげられたらいいなと、そんな事を思う。